人は他人と比べても何の意味もありません。
しかし、そんなことは重々分かっていても他人と比べてしまうのが人の性です。
人は集団生活で成り立っています。
だから、他人と比べてしまうのは致し方ないという部分はあります。
特に日本では、幼少の頃から他人と比べられて育まれます。
「○○ちゃん、○○君はできるのに何故あなたはできないの?」
子供時代、こんな言葉を親に言われ続けてきたはずです。
学生時代は、偏差値と切っても切れない関係になります。
偏差値は絶対評価ではなく相対評価です。
つまり、他人と比べて自分の立ち位置はどこかを表すものです。
このように、人は大人になるまでの間、ずっと他人と比べられる人生を送ります。
そして、大人になってからはより一層、競争の連続です。
私は人生の折り返し地点を迎えましたが、これまでの半生、競争社会に翻弄され続けてきました。
そんな氷河期世代である私がこの40数年間、他人と比べられる競争社会でどのように翻弄されてきたかを3回に分けて振り返ります。
- 幼少から中学生まで
- 高校と大学時代
- 社会人時代
今回は「幼少から中学生まで」編です。
子供時代は目立つ存在。競争社会とは無縁だった
私は小学生までは目立つ存在でした。
身体は小さかったが、足が速かった。
小学校のマラソン大会では2年連続で1位だった。
県内で5本の指に入るほど強かった少年野球チームでレギュラーだった。
体操を習っていないのにバク転ができた。
縄跳びで二重跳びを200回以上飛べた。
子供の頃はとにかく運動神経が良かったので、目立つ存在でした。
そして、この頃はまだ他人と自分を比べるという意識はなかったと記憶しています。
赤面症が辛かった
そんな運動神経の良かった子供時代の私ですが、本当に苦労した苦々しい思い出があります。
それは、極度の赤面症だったのです。
授業中に名指しされ、席を立ち発言をする際、顔が真っ赤になり膝がガクガク震え出すのです。
発言の際に声がブルブル震え、なかなか思うことを話せないのです。
声を出すのがやっとという感じでした。
心臓もバクバク鳴り、爆発するのではないかというくらい悲鳴を上げているような状況でした。
40代となった今でもその名残は残っています。
あっ、今赤面している、と分かる時がたまに訪れます。
胸の鼓動が信じられないくらい早まることが往々にして今でもあります。
私は子供の時から極度に内気な性格で、肝っ玉の小さい人間だということを認識しましたし、それは今でも治ることなく、肝っ玉の小ささは一層際立ってきていると自覚しています。
それでも、運動しているときは何故だか、その肝っ玉の小ささは影を潜めていたのです。
何はともあれ、小学生の時までは、私は他人と比べることとは無縁な人生だったと記憶しています。
中学時代は偏差値という他人と比べる指標と出会う
中学生になると、偏差値という他人との比較指標と出会うことになりました。
私にとって、高校受験が初めての他人と競争するイベントでした。
その高校受験に付き物なのが偏差値。
テストの得点だけを見る絶対評価ではなく、そのテストで他人と比べて自分の立ち位置を知らしめる相対評価である偏差値。
この偏差値という存在と出会ってからは、親からのプレッシャーが急に重くのしかかってきたような気がします。
特に母親が顕著に、私を偏差値の高い高校に入れることに執着していたように思います。
全国的に有名な私立の進学校というわけではありませんが、地元の公立進学校には入学してほしいという思いは強く持っていたと思われます。
とある学習塾が私を変貌させた
というのも、私の成績が一向に上がらないので、何度となく学習塾を変えさせられていました。
そして、ちょうど中学3年生になる時に新たに入塾した塾が、ズドンと私にハマったのです。
どう表現してよいのか難しいのですが、高校受験を成功させるための勉強の仕方を、その塾で完全にマスターした感覚だったのです。
見る見るうちに成績と偏差値が上がり、結果、地域のトップ公立高校に合格することができました。
中学3年なりたての頃は、上位30%くらいの成績に入れるかどうかくらいだったのですが、高校受験の頃には上位5%くらいになっていたのです。
完全に塾のおかげです。
その塾の教え方が、私の感性にズバッとハマったという感じでした。
私は明らかに、自分が持つポテンシャル以上の高校に合格してしまったのです。
高校受験で競争社会の勝者としての心地よさを知る
進学校に合格したことで私は決して天狗になるようなことはなかったのですが、この高校受験のエピソードは、他人と比べる競争社会において、「勝者としての心地よさ」みたいなものを知るきっかけだったような気がします。
ただ、勝者がいるからには敗者がいるわけで、その敗者の気持ちを汲み取るということまでは、まだまだ若かかった私にはできかねていました。
中学生の時に初めて、偏差値と言う他人と比べる競争指標と出会い、そして私は高校受験という競争の勝者となりました。
しかし、私の人生で競争社会に勝った経験はこの高校受験のみです。
それ以降の30年間は、負けっぱなしの人生を歩むことになります。
競争社会で疲弊していく氷河期世代を身をもって体験していくこととなります。
「競争社会に翻弄された氷河期世代の半生」の1回目、「幼少から中学生まで」編はここまでとなります。
次回は「高校と大学時代」編です。
びっくりするほど落ちぶれていきますので、ご期待ください。
コメント